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善行大鑑(明治43年:1910年)によると、久保町の西園寺に「笑われぬやうに笑うて暮したし」との川柳句碑があるとのことです。何かご存じの方は情報をお寄せ下さい。 尾道の忠僕 三代の主人に仕ふ=壽碑の建立 備後国尾這市久保保町の富豪柏原貞助の番頭亀田徳兵衛(七十)といふは同市久保町の生れにて父を岩兵衛と云ふ。 今より二十六年前同人八歳の時、父が柏原家の手代たりし因縁にて、同家に奉公して丁稚となり忠実に立働くにぞ、時の主人貞次郎(当主貞助の曾祖父)の信用する所となり、次第に昇進して手代に擢でられ、次の主清い次郎の代には、番頭に擢でられて同家の内政に干興するに至り、爾来当主まで三代六十二年間一日の如くに忠勤を励み、今や七十の高齢に達したるも、身体矍鑠として、未だ嘗て一日も主家の勤務を欠かきたる事なしとぞ。 聞く五六十年前の柏原家は今日の如く富裕ならず、然るを同人は一意専心主家の為に尽悴し、清次郎以来三代の幼主を輔佐して、遂に巨万の富を致さしめたるは、同人が画策にまつもの頗る多かりしといふ。 猶同人は業務の余暇を以て風雅の道にも心を寄せ、川柳を能くし、雅名を半池庵菱雨といひ、同地方では宗匠と呼ぱれ、許多の門弟を有せり、生花は池の坊の流れを汲みて、其の奥義を極め、家元より目代職の免許を受け居れり、四十二年門人等相謀り、古希の祝賀を催さんとて、同市久保町西園寺公園内に一個の壽碑を建立し、同年四月二十五日西村市長以下多数の官公吏、紳商、新聞記者等を請待し、盛なる建碑除幕式を挙行せり、碑面には 笑われぬやうに笑うて暮したし 菱雨 と刻す、謙徳のほど偲ばれて床し。
by megiya-art
| 2006-05-22 04:08
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