カテゴリ
以前の記事
2008年 05月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 フォロー中のブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
一般の知識ではまったく理解できない「天童第一座」偈頌(げじゆ)。平たく言えば雪舟と名乗っても許されるほど位の高い称号を得たということ。実に「天童第一座」を授与されたのは五百四十年ぶり。千七百年の歴史を誇る天童禅寺にとっても栄西、雪舟についで日本人三人目という快挙になる。 これはどの快挙だが、禅を志すゆえに事は淡々と進み、このほど福屋ハ丁堀本店七階美術両廊で十二月七日から十三日まで開かれる「雪舟圓寂五百周年『天童第一座』拝命記念-第十回七類堂墨呑作画展」を開催する案内状が配られ、一般に知られることとなった。 ■雪舟 雪舟は、一四二〇(応永二十七)年現在の岡山県総社市生まれ。十歳ごろから京都・相国寺に入り、禅僧として学ぶ傍ら水墨画を極めた。諱(いみな)は等楊(とうよう)。三十歳代半ばには西国一の勢力を誇った守護大名山内氏の庇護を受けて現在の山口県山口市にアトリエ雲谷庵を構え、作画に没頭した。一四六七(応仁元)年五月、さらに向学に燃える雪舟は遣明船第三船に乗って明へ渡り、寧波の天童禅寺に入り、水墨画の最新技法を学ぶことになる。その結果、同寺から栄西に続く「天童第一座」の称号を受け、一年半ほどの滞在期間中、日本との交流も盛んだった寧波の豪商による支援もあって天童禅寺周辺で多くの作品を残している。帰国後はこれまでの水墨画とは道う新しい画法を生み、日本の画壇に大きな影響を与えた。「四季山水図巻」「天橋立国」など代表作六点が国宝。幼少のころ、宝福寺の柱にくくられ、涙で鼠の結を描いた話で知られる。 ■天童禅寺 天童禅寺の正式名は太白山天童禅寺で中国浙江省・寧波(ニンポー)市にある南宋五山の一つ。アジアの禅宗の総本山的位置付けにある。時代に応じた複数の境内を持ち、それぞれに大伽藍が並ぶ。歴代皇帝の書が掛けられた建物は圧巻。曹洞宗本山の永平寺もこの寺がモデル。 日本と寧波の交流は古く、貿易も盛んだった。そうした歴史から親日の人が多いといわれている。鎌倉-室町時代には中国は宋、元、明の時代。主に日本と寧波の間を船が行き交い、臨済宗開祖で茶道の元を日本へ伝えた栄西禅師(一一四一-一ニー五、曹洞宗開祖の道元禅師(一ニ〇〇-一二五三)が天童禅寺に渡り、禅宗の教えを持ち帰った。三百年ほどのときを経て雪舟が同郷の英雄だった栄西禅師への憧憬もあって天童禅寺に入っている。 ■天童第一座 天童禅寺の「天童第一座」は高位を表す称号。「天童首座(てんどうしゅそ)」の証としてこれまでに日本人では栄西、雪舟の二人に与えられたのみ。特に中国では「天童首座」=雪舟との認識を持つ。中国が世界の十犬芸術家の一人に雪舟を挙げていることからも「天童首座」の重みが分かる。近年になって天童禅寺の持つ文化的価値や技法を復活、伝承する動きが中国で活発になり、雪舟が亡くなって五百周年の今年は特別に意味深い年だった。 ■七類堂氏の縁 七類堂墨呑氏は禅の心を墨と水で表現する高度な技法「破墨」を復活させた道釈画家。国内では知られており、二〇〇五年三月に行われた中日現代国際美術展に招へいされて出品、中国を訪問した。それが運命の転機。招へいした西冷印社副社長の劉江氏、中国美術学院学長の任道斌氏、雪舟研究の中国における第一人者の場古城氏などからこれ以上はないほどの絶賛を受ける。中国にはすでになく、日本でも明治時代までに絶えた道釈画が見事に継承されていることに驚き、劉江氏が「雪舟後孫」の印を授けるなど、中国第一級の美術関係者から雪舟の正統なる末裔と認知されることになった。 これを受けて二〇〇六年の今年二月、天童禅寺誠信大和尚の訪中要請の親書を携えた使者団がわざわざ福山市まで来日、七類堂氏に「雪舟圓寂五百年記念会式典」などへ出席するよう求めた。五月十八日、寧波のまちの中心にある仏教協会会場で盛大に聞かれた「雪舟圓寂五百年記念会式典」の席上、七類堂氏に天童禅寺の誠信大和尚から「天童第一座」の偈頌とその称号を刻んだ大印が手渡された。人口六百万人の寧波市を挙げて多彩な行事が催されたが、そのメーン行事として七類堂氏の「天童第一座」偈頌があった。 七類堂氏は通訳を通じて「雪舟の威徳を生きた権威にすることが日中友好の要になると思います。仏縁により実現に導いた誠信大和尚の恩徳に感謝したい。生涯最高の栄誉」と喜びを伝え、天童禅寺に「雪舟七十一歳寿像」「達磨図」など書画七点を奉納した。これらは同寺雪舟記念室に永代展示されることになる。 そのほか七類堂氏は様々な行事に参加、出されたテーマで即興的に作品を描くバトルのような交流会では寧波第一の書家と競うなど滞在中に七十五点を奉納した。また「雪舟」の字号を生んだ高僧、楚石梵琦大師の開山した天寧永祚寺の暁明大和尚からは「今雪舟」として「雪舟」の号も贈られている。 ■七類堂墨呑氏 七類堂墨呑氏は昭和三十六年八月九日広島県尾道市の因島生まれ。大阪芸術大学在学中から道釈画の研究を始めたが、専攻は洋画。卒業後東洋画に転向、十三年間は尾道市内で中学校教諭を務めながら制作活動を続ける。平成二年第三十一回日本南画院展初出品で人選。以降連続人選を果たす一方、平成七年から臨済宗大本山彿通寺管長璞翁宗訓老大師に師事、参禅を始める。十年に現在の「アトリエ鴉笑舎」開設。十四年には道釈人物画の「破墨法」を復興させた一破墨十五撰」を発表している。今年三月にはスペイン国立プラド美術館に作品が永久収蔵されるなど国際的な評価が一気に高まっており、今後、国際舞台への飛躍が期待されている。 (びんご経済レポート 第1609号 平成18年12月1日発行) 天童禅寺における様子が中華佛教資訊網で詳しく報道されています。 天童禪寺舉行雪舟禪師示寂500週年紀念座談會(圖) 誠信法師の講話翻訳 尊敬する七類堂墨呑先生ご夫妻、紳士淑女の皆さん: 今日、天童禅寺において「雪舟禅師圓寂五百周年記念座談会」を挙行します。この因縁は非常に心打たれるものであり、稀有にして得難く、深遠なる歴史的意味を持っています。 五百年前、日本の画僧・雪舟禅師は我が中国寧波天童禅寺に来られ、仏教文化と絵画芸術の学術交流を行いました。雪舟禅師は豊かな学識と聡明な知恵を備えており、禅学と芸術を結びつけ、禅学の芸術化と生活化のふたつを完全に理解しました。当時、彼の傑出した絵画芸術と技巧により、明代の憲宗皇帝は“天童第一座”の名を与えました。これは中日友好の歴史の輝かしい一頁です。 五百年の時を隔て、雪舟禅師の十七代弟子である七類堂墨呑先生は、雪舟禅師の生前の願いを受け継ぎ、今日、天童禅寺の雪舟禅師圓寂五百周年記念座談会に参加するためお見えになりました。これは簡単なことではなく、先生が水を飲むときに泉を思っておられることを明らかにしているものであり、感謝します。 七類堂墨呑先生は仏教学と芸術に精通され、特に中国の仏教と道教の文化に対し、大変な見識と研究をお持ちです。天童禅寺に常に来られ、いくらかの貴重な書画を残され、永久の記念となすことを望みます。 今回の座談会を通じ、私たちは雪舟禅師の精神を継承発揚し、中日両国の友好を確立し、寧波市と益田市両市の仏教文化の交流をより緊密なものとなるでしょう。 最後に、皆さんの健康と幸運を祈念します。
by megiya-art
| 2007-03-11 00:20
| アーティスト
|
ファン申請 |
||